匿名希望のおでんFortranツヴァイさん太郎

生き物、Fortran、川について書く

外国語を使える能力と外国語によるコミュニケーション能力は別物

コミュニケーション重視の語学教育をするなら,なおさら文法を重視すべきであるという記事を書きました.
y-tis.hatenablog.com

本稿では外国語を使える能力とコミュニケーション能力は厳密には違うことを説明します.

先の記事と同じく,コミュニケーション能力とは正確に考えを伝える能力と定義します

私は英語を読み書きする程度の能力はありますが,どんな国の英語話者ともペラペラしゃべれるわけではありません*1.しかし,ペラペラ会話ができないことは意思疎通ができないことを意味しません

講演のように,一方的に話をされる時に聞き取りができないのは確かに致命的です.しかし,日常会話は違います.聞き取れなかったら「もう一度言ってください」,聞き取った内容に自信がないなら「あなたが言っているのはこのような意味であっていますか」と確認できます.ただし,そのためには自分の考えを正確に表現しなければなりません.従って,正確な意思疎通には文法が必要ですしかし,これだけでは不十分です

私は所属研究室に来た留学生のために,各種手続きや契約時の通訳をよく担当します.私が英語の聞き取りが苦手なことを彼らは知っているのでゆっくり話してくれますし,聞き取れない単語を紙に書いてくれたりします.彼らが使った単語の意味が分からない時は,意味を尋ねて教えてもらいます.その結果,私は彼らの言うことが理解でき,彼らの疑問や要望を日本語にして先方に伝えることができます.

逆に,先方の日本語や契約書の内容を翻訳する際,直接訳せない時は具体的な例を出したり図解をして説明します.その内容を聞いて彼らは質問したり,「つまり,何々ということだね」と確認をしてくれます.

我々の間にかわされる会話は決して流暢ではありません.しかし,互いの考えを伝えることには成功しています.このように,コミュニケーションは双方の思いやりと会話技術がなければ成り立ちません.これは明らかに外国語を使えることとは別次元の能力です.当然,語学教育の体系に含まれるものでもありません.

重要なのは,コミュニケーションは両者が思いやりを持って初めて成立することです.外国語がペラペラでも,どちらかの思いやりが欠如すればコミュニケーションは失敗します.聞いてもらおうとする努力,聞こうとする努力が大切なのです.先の留学生達は私のつたない通訳に文句を言うどころか,もっと英語が上手な日本人がいる時でさえ,しばしば私を頼ってくれます.それは,思いやりが互いに成立する人だと認識してくれているからだと思います.逆に,私は彼らが思いやりを持つ人だと思っているからこそ,助けになろうと思うのです.

*1:国ごとに訛りや癖が違うので,聞き取りやすさが全く違います.